
台北にいます。
来るのよそうかと思う要素もたくさんあり、
それでもワガママになって来てみました。
ずっとチェコ語を教える仕事に関わっていると、
私は教える立場に慣れていき、
ことばがわからないことのトラブルや
習う人の知りたい部分を忘れてしまっているんじゃないか
と思いはじめてました。
だから、一人で、
ことばのわからない土地を経験したかったんだ、
と思いだしました。
マンゴーのある、野球好きで、熱のある島。
ずいぶん勝手させてもらいましたが、勉強になりました。
ありがとう。

頭を占める行き場のない記憶。
でも、話したくないのだ。
たぶん話しているうちに、相手への恨みごとにたまらなくなり、自力で片付けられない自分のふがいなさに悲しくなり、暗くなるから。
かといって、あれも話したくないのだ。
失敗したと思えばいいのか、まだ可能性を探していればいいのか、自分の方向が見えなくなり、泣きたくなるから。
大きな失敗も危機もなくここまで来たから、うまくいかなかったことをどうしたらいいのかわからない。
忘れてしまえ、明日考えたらいい、と思っても、そんなコントロールが利く頭じゃないようで。
いままで気づかなかったが、私は、どうしようもなく一人だ。
考え疲れて眠ると、また夢に出てくる。
誰もやさしく笑わない。
かといって私を傷つけることもない。
許す人も叱る人もない。
夢のなかですら、私は何ひとつ深入りされずに、干渉されずにいる。
どこまでもどこまでも一人だ。
ライブを見るといつも思う。誰が集まってるのか。
頭のなかや、世間のどこかから
「そんな企画で売れるか」
「そんなの買う人がいるわけない」
と、いつもきこえる。
儲ける視点しかないと、たぶんこういうんだろう。
広がり、受け入れられ、おかわりしたくなるような、そんな「いいもの」を教えたいだけのときでも。
「そんな企画だめだ」という声はけっこう影響力が強い。
だけど、それなら何が売れるっていえるのか。
だれが認めれば、未来の「売れる」に保障がつくのか。
金をかければ売れる。たしかに。
では、金がかかってなければ売れない?
定価を上げれば利益が出る。たしかに。
それでいつも同じ数が求められて売れるって見込みは正確なの?
音楽やる人はメジャーデビューする前に、なんらかの客観的な目安になるようなものがあるんだとは思うけど。
固定ファンとか、ライブ動員数とか。
でも、最終的に問われるのは気持ちが何とかする部分じゃないのかと思う。
パフォーマンスする側に対する共感とか応援とか、内容への工夫におもしろがるとことか。
歌ならとくに。
歌手やグループが何千人を集めてるのを見ると、知らない人がいっぱいいて。
みんながみんな、何かしら知りたいとか聴きたいと思って、同日に一ヶ所に来るんだ、って不思議になる。
もうそれはマーケットとか当たりをつけて狙うような、せこさでは抱えきれないんじゃないのか。
だから、チェコがいくら遠かったり小さかったりしても、商売にならないという声は信じるべきではない。
と思いながら、鋼と硝子でできた声をきいてきました。

私は粘り強さと粘りきれない弱さがあって、あきらめがつかないで、切り換えが下手だ。
他人でもネガティブになっている人を見るにつけ、「そうじゃない」「そんな受け止めかたは卑怯だ」とまで、言いたくなるほど。
でも、そうはしないように心がけているつもり。
言うのが友達だと思ったけど、言わない。
それより私だ。
まだ何も未来のことはわからない。
まだまだ家族からのなにげない一言を気にするような、気の小さい人間のままだ。
でも、許してほしいのだ。
間違えてるとはいわないし、身分不相応だとみえることは十分わかっているから。
このままじゃだめな娘でしかないこともわかっている。
何かを求めるなんて、私が図々しいんだと思う。
ただ、時間をください。
舵取りは自分でするから。
不誠実に見えると思うが、わかっているだけに、私は悔しく生きている。
いわゆる模範的に生きて、いろんなことをあきらめていたら幸せだったのに、なんて話すらしたくない。
いちばん悔しいのは私だ。
慰められる悲しさまで、私は受け止めてしまうのだから。
あー、考えるのはやめよう。
みんな呑気に「よくやったね」って言うんだ、私にはたいしたことないことでも。
私は黙ってやるしかない。
どこかで交わるだろう。
私はこんなに恵まれていることも、いつかわかってもらえるだろう。
それまで耐えるよ。

たまに、誰かを操ってしまっているような感覚になるときがある
悩みがなく、少し自信がある時期で本心がにじみ出てしまうようなタイミングで起こるのだ
私が起こした行動に、誰かの気持ちが動いた、という手応えがあるとき
誰に対してもできる技じゃないけど、ちょっとわかるのだ
ああ、共感されたとか、ちょっとしたサプライズだったなとか
少なくとも、愛想笑いじゃないことに気づくくらいのセンサーはあるつもりだよ
再来週からは働きづめになるだろう
少しずつ前倒しでやろう
本心から、がんばったと思うような一年を、過ごしてみたくなる
未来を考えると、落ち着きがなくなるから、自分のことを考える
好きなもの、苦手なこと、磨きたいこと……

自分でがんばろうと思ってなしとげた仕事には、
無意識にひどく筋肉がこわばるようだ。
一仕事終え、いや一仕事終えたのが休みなく三件くらい続いたろうか。
とても体が重く、走るのも遅い。
背中や肩や腕や足腰のなかにこりこりとした部分ができている。
それに気づいてこりこりした部分をほぐしていると止まらなくなる。
こりこりしている部分ばかり気にする時間があると、ああ、落ち着いたんだなと思う。
さ、マッサージにでも。

夕陽が目の前に見えて、線路が真北に走っていたことを知る。
ということは、いつも帰りは南に向かっていたのだ。
人間関係を円滑にするためには「かかわらない」のがいちばんだというパラドクスにさっき気づいた。
また友達がおもしろいことを言った。
「あなたにとって他者とは?」
「自分以外のすべてでしょ」
というと、自分で自分の矛盾がわかった。
他者なのにかかわることないんじゃないか。
北は、私がどう間違えていようと、北でしかない。
東も同様。西も同様。

インドにもチベット民族が住んでいることを思う
国旗をふるほどの動機が私のなかにはないが
体をはってチベットがここにいると伝えに行く人に
がんばれと思う
なぜかというと
テレビのアナウンサーがそうであったように
人はいくらでも無知を傲慢にふりかざすことができるけど
私はそれを看過するのはいやだから
無知だと思わなくても
いつのまにか自分は他人より立場が上だと思いながら話すような
そんなことはいくらでも起きうるから
キーマカレーを食べながら
自分が強いと過信しないように
弱さを知る自分を忘れないように
日々慎重に、意志をかたく、と思う
是も非もどちらも長所があるから
選んだ行動に後悔なきよう、
いくらでも間違える人類のなかに立ちすくむ時間を愛そうと思う

関西風のうどんに、九条ねぎがつくと、なんだか絵に描いたシャボン玉みたいだと思った。
鏡リュウジが、日本人の著者としては初めて、誕生日ごとの占い大全をまとめたときいたので、本屋で探したよ。
私の誕生日はいつも言われるようなことで埋められ、そうかなと読んだ。
ある人の誕生日を読んでみた。
その人は、人からどんな愛情を傾けられても、自分が好きな相手でなければまったくいらないんだって。
そんなにも、わかりやすく、いらないんだ。
いや、もう、それなら。
わかりあうとか相手の身になるとか、無理に決まっていますね、とすら思いました。
人間関係では、友達くらいがちょうどいい。