私でなければ

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なんかここんところ、集中できず、だめだなーと思って
完璧にできていないのはわかっていて、でも時間の締め切りがあるので
仕事を進めた。
自信もってやらないと、と思ってたので、
待ちじゃなく攻めるように、と思う。

朝から胃がまた痛い。
ああ、でも負けちゃだめだと思って向かう。

一つのアイディアでいろいろなことが整理された。
それが示されただけで、違和感なく、自分のいまの力でも
できるとたしかに思った。

まだ何も進んでないけど、これからやるんだけど、
これが一冊の本になってきたら泣くかもなーと思って泣けた。

涙の理由なんて本人にしかわからないといわれるはずだ。
誰にも説明できないが、たぶんわかる人はわかるんだろう。


なんとなくいまの私はなんもない気がしていたけど、
そうは思っていない人たちがいるのはありがたいことであるよ。

どうにもならないけど、どうにかなるよ。

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自信をもって直感を信じて

自信をもってというのと
直感を信じてというのがいちばんむずかしいと思う。
しかも、これまたよく言われるのだ。

だけど、直感を信じるには自分を信じることが必要で
自信をもつということにはなにか根拠が必要みたいだ。
みんなどうして自信があるのだろう。

私が自分の考えでふりまわして望まない場所へ引っぱっていってしまうくらいなら
私は誰かの考えにふりまわされているほうがいいような気がしている。

私が誰かを引っぱりまわすなんてことは、ほんとうかうかしているときにちがいないからだ。
うかうかしないように用心すればするほど、ますます自分に自信なんてもてない。
うかうかしているときはきっと大事な誰かといるときだ。
だから家族や親しい人は私の言いたいことをずっと聞いている羽目になる。

自信をもつということは、非常に罪深いことを引き起こすと思うのだが
これはどうしたことだろうか。
私が考えているのはちがうのかな。

もう考える日々から抜け出したい。

風にふかれたり、緑にふれたりしていたい。

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時間

もうびっくりするくらい、急転直下の生活変化である。
ときどき書いている日記帳をみると、以前も「きつい」という表現があり、悩んだ様子がみうけられるが、
それにしても今回は史上最大だと思う。
どうなってしまうんだろう。

これで生活が変わってしまうんじゃないかと思うほどだが、
変えたいと思っているわけではないし、ふみとどまれるところでふみとどまりたい。
ほんとに視野が狭くなって、心なしか視力も落ちた気がする。
夜眠れなくて、携帯の明かりで文字を読んでしまうからかもしれない。

今日はいかんともしがたい理由で外出をしたが、外出先でも携帯を見てしまうので
外に出たときくらい遠くを見たほうがいいんじゃないかと思って
せめて手ぶらで歩いてみた。
さっきまで携帯で読んでいた内容が頭のなかでくりかえし浮かび上がる。

できないことはできない。
ないものはない。
私にはないので、できない。
できないことなので、できない。

至ってシンプルなことだし、何も間違いはないはずなのだが、
それを確認して自分に言い聞かせなければならないというのはどうしたことだろう。
そのまっとうな認識で、「いちばん困ること」を考えてみた。
自分、家族、社会的立場、家計、持ち物、……自分の譲れないものってなんだろうか。
誰かに求められることではなく、自分がいちばん困ることとは。

歩いているうちに、私の人生の曲がり角の一つになったともいうべき公園に入っていった。
いつぶりだろう。緑色がかさなりあう。高い木、低い木。この場所は私に何か影響をもたらすだろうか。
閉まっている図書館。がらんとした建物のなか。クローバーに覆われた日時計。

私は嘘をついていない。けれど、そんなことあるはずないと思いこまれて生きているんだと思う。
それを裏切らないように行動を制限しているのかもしれない。
家族から実家に帰っておいでとメールが来る。
帰っておいでってそういう意味なのか、故郷ってそういうものなのかと、いまにして思う。

せめてひとつ、状況がどうであっても、私の意志は大事にしようとするものひとつ。
そのためにだけは、笑って明るく強気であろうと、
いちばん大事なひとつのものに向かって地下鉄に乗る。
時間に翻弄されてもいい、運がわるくなってもいい、けれど、このひとつだけは。

これがなくなったら、考えよう。
ずっとずっとつらいかもしれない。積み重ねてきたものをなくすような後半生かもしれない。
でも、これだけは意地でもやろう。いまはこれだけのために、笑って歩いて向かっていこう。

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もうすぐ文月

もうすぐ文月
ここんとこ日付を意識することもなく、気づいたらひとつきが終わるところ
何してたかしら
何かできたかしら

でもそれを言うなら、ここ三年くらい、何をしてきたつもりかしら
何を目指したかしら
意識していたかしら

いまから未来を眺めようとしても何もできないよ
一歩も進めないんじゃないかしら

正しい道を探そうとしたら、まずあんな遠くまで、意識を拾いにいかないと

でも拾わないで行くのが、正解なのかもしれない

それで、何をしたらいいのかわからないまま、うろつくしかないのかもしれない

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わかりあえなさ

わかりあえなさ
たとえば、日本人がチェコに行き、チェコ人と英語で会話するような

わかりあえないのは最初からわかっている

それが受け止められている心地よさ

今夜はそれに憧れる

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どこかいつか

どこかいつか
未来があると思うから、いませつないながらもやってるんだと思う
未来に追いつき、はやくいまを抜け出したいけど、できるかわからない

でもあきらめたら、すっとなくなってしまう
下りのエスカレーターをずっと歩いて上ろうとしているみたいである

いちばん上につけるとは思っていないけど、いまいちばん下に行くのはいやなのだ
歩きつづけるしかない
気持ちや身体がもつかわからないが、走れるようなら走りたい

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まるで

まるで
何か忘れていたみたいに
音楽も聞かず
映画も見ず
雑誌も読まず
入浴剤も選ばず

いま聴いている
とりもどすように

水を吸うように
ふくらむ心の中身

私は私だけでこんなに豊かだ
けずられないように
目をとじて守ろう
誰かの冷たさで
このあたたかみが逃げないように

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エネルギーのつかいかた

エネルギーのつかいかた
考えがまとまらない。
まとめる時間がほしい。
心を休めたい。
何をしているのか私は。

ふつうなのはつまらないことだと思っていた。
でも、ふつうであることにいまはすごく憧れる。
ふつうでないという道を選ぶとき、まわりをみる。
相対的にふつうでないことをわりだす。
私の希望や考える余地はなかった。

ずっと考えていなかった。
いまは考えたい。
私は何をしたかったんだっけ。

そんなにがんばって生きてこなくてよかった。
ふつうであればよかった。
ふつうでもふつうでなくても生きていたらそれでよかった。

おかげで、何をしたらよいか、何がおかしなことかまで、わからなくなっている。
がんばってた自分が疲れているみたい。
ぽっかりと抜け殻になっているみたい。
地震でもないのに、毎日どきっとする。
からだが揺れを感じる。
いつも、心もとない。

ふつうに生きるだけで、いちばん幸せだ。
がんばってたって、苦しみも悲しみも同じ重さだ。
冷静になって、考えるくせをもちたい。

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みちとあるきかた

どういうみちをえらんだかはけっこう幅があると思うけれど
そのみちをどう歩いているかは自分ではさからえない現象だと思う。

チェコを知るためにチェコ語を話すべきだと思ってからしばらくたった。
たぶん歩こうとしたら誰でも歩けるみちだし、チェコ語を話そうとして話せるようになった人もおそらくおおぜいいる。

が、そこからはもう私がむかしからやってるようにしか進めないのだ。

ちいさいころから、年下の複数のきょうだいがぶつかるたびに
どうふたりともにわかるようにいさめたらいいのかをまいにちまいにちかんがえた。
大声でおさえつけるのがいいのか
説得力があることばはなにか
注意をひくには何がいいのか
毎日叱るのに今日もけんかになるのはどうしてか。

もしひとりっこだったり、おとなしいきょうだいだったり、年上のきょうだいがいたりしたら
そんな工夫をすることなく年をとっただろう。
ひとりで妄想をふくらませていても邪魔がはいらない環境だったら
ちがうこともできたかもしれない。

でも思い出せば、下のきょうだいが泣かないように、
落としたおもちゃのために私は川に飛び込んだ
台風の風で傘にぶつからないように力を貸した
親の留守に自分の勉強を中断して仲裁をした
プライドが傷つかないようにだいじなところはやらせるようにして宿題を手伝った
いまでもそれはないんじゃないかと口をはさんだりする。

いい迷惑だろうけど、
わたしのなかみはずっとそうやって考えを組み立てた。
それ以外の組み立てかたを思いつかないほどに。

同じチェコ語を話すにも、
説得して伝えようとした懸命な気持ちとか、
伝わらないことでもどかしくなる気持ちとか感じることなく
チェコ語が話せるようになったとしても
そこで私が何をしたかと思うと、ぴんとこない。
何をするか、何ができるかはやっぱり過去に努力してきてしまったほうに似てくるのだ。

何にもあらがわず、きけんもおかさず、静かに生活していたか?
そんな生活をしてきていない。
ただそこにいる小さい人たちがけんかするな、いじめるな、泣くな、と思っていた。
もうずっと願いはそこだといっても過言じゃない。
なんでかはわからない。

泣いたりけんかしたりいじわるしたりする人をみてほっておけるような人間ではないみたいで
やめろというために考えたし、やめさせるために考えた。
平和で、しずかで、せめて笑い声くらいで、だれもけんかしていなければよかった。
それがずっと到達目標だったけど、できたかどうかは自信がない。

いまも似たようなことをずっと思っているような気がする。
解決できないレベルで対立しているひとたちのいる空間はいられない。
いやがる人にたいして叫ぶ力と声が足りなさすぎる。
だけどまだあるきはじめて短い人にはできるかぎり力を貸そうとしてしまう。

私以外の人もそうじゃないかと思う。
どんな仕事をしていてもきっとあるきかたは小さいころからずっと同じなんじゃないかと思う。
自分がやるまえにうまい人を見きわめてから同じ方法をえらぶとか、
つくりだす工夫は知らないけど人がやってたらできるとか、
自分が有利になりたい気持ちがずっとあったとか、
そのために言わなくていいことをだれよりじょうずに判断できるとか、
もっとうまく生きてる人がたくさんいるのかもしれない……

そういうのは私にはないけど、けっきょく同じことだ。

私だってうまく生きてるようにみえるだろう。
そう思われていることだけが救いだ。
川に飛び込んでるなんて思われていないことが救いだ。

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文学作品の誤訳

文学作品に「誤訳だらけ」というのは、あさはかな見解ではないかと思う。

翻訳者の仕事ぶりや人柄を知ったうえで、誤訳なのか読ませる工夫なのかを語るべき。

知らない翻訳者の作品について、「誤訳ばっかり」というと、自分の翻訳についての無知と翻訳者、出版社への敬意のなさが露呈するだけだと思う。

あと、エラソーに語りたい人柄もばれる。

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