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ledna 2007

胸をはれる自分

胸をはれる自分

くよくよしちゃあだめだ

と亡き祖母がよく言ってました。
日曜日に祖母の一周忌が終わりました。

土曜日から、なんだか慌ただしいながらも感慨深い時間を過ごした。
同じようにこたつを囲んでも、もう孫としてではないのだ。
2世代しかいない。

月曜日、帰京して、少しふとんにいた。
また出かけるのだが、少し休んだら、涙が出た。

土曜日、ガール・ポップ・クレイジーというオールナイトのイベントに行った。
法事前日の夜中、クラブイベントなんて行くのは絶対おかしいんだが、でも行かなきゃいけない気がした。

行ったら、音楽聞いて、飲んで、踊る、というそれだけなのに、ものすごく感激した。
楽しかった。
イベント主催者さんのサイトをずっと読んでいて、ファンだった。
なんでファンだったのかわかった。
こんなに感激するなんて。

女の子は好きな人のためなら奇跡を起こすのよ、ほんとに。

もろもろ考えたら、涙が出てメイクが落ち、寝ていたから涙がおでこまで伝った。
私は
「あの人に迷惑ではないか」
「あの人はいやがってないか」
ばかり気にしているけど、そんなことより前に、事実がそこにある。
それを歪めたり、見ないふりをしたり、自分で圧力をかけたら、おかしいことになるにきまってる。

友達から、無理をしてこじれた人間関係の悩み相談がここのところ続いていたのに、偉そうに助言していた私自身は無意識に自分の希望を見ないふりしていたり、わざと消していたんではないか。
こじらせていたんではないか。

どれが事実に近いのかわからない。
そもそも、事実なんて私にわかるのか。

わかるとしたら自分の意識だけなのに、そこを無理やり意図的に事実を曲げて見ていたのかもしれない。

くよくよしないようにします。

でも、おばあちゃん、見守っていてね。
不安になりたがる私を、ときどき叱ってあげてね。

いつも自信がある自分でいようと思った。
わかっていることを、ただそれだけ信じよう。

根拠はないけど、ほんとに思ってるんだ。
一億人から君を見つけた。

それが私にわかることのすべて。
そして、それしかわからない。

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チェコ人ベスト4

テニス全豪オープン
女子シングルスにチェコ人のヴァイディショヴァーが残っておりますよ。
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うふふ。

シャラポワ×クライシュテルズ

S・ウィリアムス×ヴァイディショヴァー

がベスト4の顔ぶれです。
ウィリアムスは手強いけど、勝ったら初のグランドスラムファイナリストになる。
ヴァイディショヴァー、ひさびさに応援したいチェコ選手ですよ。
楽しみ〜。

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それでもボクはやってない

それでもボクはやってない
「それでもボクはやってない」の舞台挨拶つき初日2回目の上映をみてきました。

加瀬亮はこないだの下北沢の舞台のカーテンコールと同じで、背筋のばして深々とおじぎをして、ステージを降りてからも会場を出る前に、扉で客席にふたたびおじぎをしていったのでした。
まっすぐすぎて、こちらが不安になるくらいです。


舞台挨拶は、ほかに瀬戸朝香、もたいまさこ、役所広司、周防正行監督がいました。
加瀬くんを見にいったのだが、監督と役所さんまで見られたのは大きな収穫でした。
監督の生トークも、役所さんの落ち着かなさげな足踏みも、あともたいさんの嘘のないおもしろさも、それだけでうれしかったですよ。

この映画は明らかなメッセージ性があって、頼もしい役所さんのセリフがいちいちアクセントになっています。
加瀬くんのまっすぐさが、本当にハマっていたし、山本耕史、鈴木蘭々もよかったと思いました。

最近ずっと、シュヴァンクマイエルの「ルナシー」について考えていたので、
「それでもボクはやってない」は自分で考えて見なくてよいのがかなり楽だ、というのがまず思ったことでした。

あの映画では、誰かが自分の利益のために汚い行いをしている、というのは、とりあえずなかったのです。
皆が皆、ルールとシステムに乗って、良心と常識で動いていました。
そのなかでも生まれている矛盾にスポットが当たっています。

痴漢冤罪裁判がテーマなんだけど、私も痴漢はだいきらい。日本人の気性が悪いかたちで出ている感じで、きらいです。

田舎なので、通学中に痴漢とかはなかったけど、そういえば初の痴漢被害は、大学の入学式の帰りの地下鉄でした。

いまなら蹴り入れてパンチしてやるとこです。


そんな、犯罪のなかでもせこくて卑劣な犯罪だけに、主人公の徹平役にもそんなのに負けてほしくない、と思いました。
映画を見てもらうのがいちばんなので、最後までは書きませんが、
役所広司がやさしく導き、
若い役者さんが必死に闘い、
もたいまさこさんが見守り、
そしてそれぞれの役者さんが自分の役に揺らぎなく、まさにあるべき姿で演じています。

黒沢清監督、役所広司、加瀬亮出演の「叫」という映画が楽しみになってきました。

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いまごろニート論

ニートの話を最近あんまりしなくなったが、もうみんな納得したのかな。

今日、役所に行ってきて、健康保険の手続きと年金の手続きをしてきた。
健康保険は国民健康保険に切り替えた。
それにともなって年金にも書類提出の必要があるのだが、20歳で国民年金を払ってこなかったので、私は手帳がない。会社に入ってからも手帳がないというのは、それはそれで不都合がなく、通っていた。厚生年金というのがいくばくか引かれていたのだろう、いま思うに。

就職難という時代にいたので、就職することが遅かった。
それまではアルバイトをしていて、年末調整というかたちで収入を役所に知らせ、学生のうちは親の健康保険の被扶養者として保険証をもっていた。
就職すると、会社の総務が年金も税金も市民税も健康保険もいっさいとりまとめてくれていたので、黙って働いていれば銀行の口座にお金が入って、明細をみるとお金が引かれてたりしてたが、「そういうものなんだ」で終わっていた。数字に弱いので。


いま、前の会社の健康保険の任意継続というのも期限が切れ、派遣社員というのも今後はやらず、完全にフリーランス一本でやっていくことにしようと決めた。
すると、いっさいがっさい、収入の申告も税金の支払いも健康保険証をどうやって手に入れるかも、そして未納できた国民年金もどうするか、本当に自力で全部理解して、役所に出向いて書類を書くことになる。
去年、確定申告をして、個人で何かをなりわいにすることは難儀だとつくづく思ったが、これからはそういう世界なのである。

でも、そのかわりの自由ももちろんあって、
手続きや支払いが面倒ではあっても、いまのこの位置をまた会社の従業員に戻れたら楽なのに、と思うことはない。

それで市役所に行った。
帰ってきて、たまたま目についたのが『ニート フリーターでもなく失業者でもなく』という本だった。

ニートはご存じだと思うが、「Not in education, employment or training」の頭文字でできた言葉で
「学校にも行ってなけりゃあ、雇用されてもいないし、職業訓練もしていない」という意味だ。
これが働く希望を失った若者、ひきこもり、やりたいことがみつからない、など
かなりネガティブなものと結びつけられて語られてきた。

いま私の職業とか立場とか何なんだろう、と思うと、
見る人によっては「ニート」だよなって思うときがある。

生活費が出るようなバイトについていない。
別に公的な学校にも行ってない。
職業訓練といえるようなこともしていない。
いちおう貯金と退職金で暮らしてきたが、ニートと呼ばれるならそれでいい。

ただ、ニートという言葉が横行するなら、注意を喚起したい。
これまでの何もしてこなかった「ニート」時代がトレーニングであり、教育であったんじゃないかと今の私は思う。
それがあったから、いま健康保険料も払うし、国民年金も払うし、社会参加をしていくだろう。

「Not in education or training」の部分を
あくまでも手続きを経た上でのなにかの機関での教育と職業訓練という考え方をすると
そこにいなかった人はニートだらけになる。

それを全部悲観的に考えたら、そりゃ世の中つらい。
そして、おまえはニートだと言われた人は相当生きにくい。

ニートって、それでいいならいいけど、もうそんなふうに思ってないよね。
みんなして。

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Pen「東欧のグラフィック」

Penという雑誌で、ひたすらグラフィックデザインをとりあげています。

チェコ人のヤン・ライリッヒさんのインタビューが心を打ちます。

世の中に何枚の絵が生まれていて、どれだけが人の目に触れるんだろう。
絵で人の心を動かすというのはどんなにむずかしいだろう。
だけど、グラフィックなら必ず人の役に立つ。

というようなことを書いていますが、本当にそうだと思います。

世の中に何冊の本が生まれていて、どれだけが人が読むんだろう。
本で人の心を動かすところまで行くのはどんなにむずかしいことか。
だけど、資料として情報としてなら必ず人の役に立つ。

と思いながら、私の書いている原稿がいよいよ本になるのに佳境に入っていってます。
「ここ欠けてますよ」と催促されながら、えっちらおっちら山を登っております。

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お初天神

お初天神

大阪のお初天神にいき、おまいりをした。

祈る、願うというのは美しい行為だと思う。
ので、参拝のしかたを見ながら祈った。


帰りの新幹線で、柴崎友香『また会う日まで』とつげ義春『ねじ式』を読んだ。

買えるケンカは売られてなくても買いとってしまうようなことをしていたが、おみくじに戒められた。

とめどなく落ち込むので、あんまり自分を罰する発想はしたくない。
しかし、客観的にはこうですね、こうもみえますね、と考えていたら、すべて丸く収まるのか?

お初天神近くのカウンターしかない定食屋に行ったら、女性3人が切り盛りしていた。
私が関東から来たというのを知ったら、おばあさんが、すごくすごくありがたそうにしてくださった。

何ができたわけでもないけど、嬉しかった。

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この世に二人といない君に

ここに、一つの事実を述べる

どんなに時間が立ち、
たましいがからだを離れるまで、
この短い時間に
辿りつけない道のりであったとしても
ヨレヨレの私を支えるのは、
あのときのあなたの言葉である

あれがあって
いまたくさんのことに感謝し、
力を尽くすことができる

そんな土台をさしだしたのはあなたの言葉だ


小心者は小さいころから変わらないけど、
あなたがあたりまえだよとみせた行動、
あなたが自然に発した言葉、
私はいつまでも忘れないだろう

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哀しい予感

哀しい予感

見てきました。下北沢の本多劇場。

加瀬亮さんの至近距離50センチ。
すごいチケットだった。

俳優・加瀬亮のいいところは、クラスにいそうな親近感があるのと、だけど唯一無ニの存在感があるところだ。

今日、何よりよかったのはカーテンコールで涙ぐんでいるところだった。
理由はわからない。

でも、出演者全員とからむ役は市川実日子と加瀬亮のみで、上演3日目。
ただの観客にも、思うところはある。

すくすく育った明るい人の役を演じきり、肩をふるわせ、お辞儀するのが、これ以上ない正しい役者さんにみえました。

ほんとに、哲生役の加瀬さん見て、元気になれたもの。

みんなも見たらいいよ。
見れないときは映画館で「それでもボクはやってない」を見たらいいと思うよ。

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誕生日によせて

たとえば。

いても害がない
いなくても不便はない

そんな存在でありたい。
あなたのもとでは。

まえにふみだすことが
年を重ねると難しくなることを知り
それでも踏み出していったあなたに

害がなく
不便にならず

ときどきたわいもない会話ができるくらいの
そんな人間に変形してゆきたい。
あなたのまえでは。

もう何も求めない。

けれど、私はかげながら、あなたが喉がかわいたときに、すっと水を差し出すくらいの何気ない侍従、肩書きのない存在でいい。

害がなく
不便にならず

だけどここにいる人になれたらいい。
そして、特別なときには誰より早くあなたを拍手で祝い讃えたい。

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加瀬亮

加瀬亮

「それでもボクはやってない」の予告編でぴんと来て、今日みにいった「硫黄島からの手紙」でまた加瀬亮を発見。

自信もっていえます。

この人は好みの顔だ。

実家用にもらってきたiMacの壁紙を加瀬さんで埋めました。

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新しい年

新しい年

2006から2007に、本当に楽しく移行できました。

地元の友人たちにありがとうをいいながら、これから会う人によろしくお願いを申し上げます。

またうれしいことで締めくくれるように、一年を一生懸命生きてみます。

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