今日はテカテを一瓶あけてきてしまい、心臓バクバクで眠れずにおります。
内田樹せんせのブログのエントリ。
http://blog.tatsuru.com/2007/10/10_1255.php
を、今日、電車で読んでて、ほんっとそうだよなーと思ってたら、
夜中にまた読み返すことになり、ついでに書いてみます。
ギリギリ宗教じゃないけど精神世界へ入っちゃってて、
みんなで祈れば世界平和!くらいの安直な人がマイミクにかつておりました。
それくらいならいいのですが、キャラが立ったからなのか、どんどん調子にのってしまって、やりすぎなとこまで行っちゃってることに無自覚だったので、ツッコミを入れてみましたが、聞く耳がありませんでした。
彼の言ってることは正しい。だけど、聴かされるほうは不快でしかたない。
彼は読み手の不快をまったく汲み取らずに、なぜ自慢げに話しつづけるのか。
不快だといっても、なぜ配慮できないのか。
それは彼の言ってることがいかにも正しかったからでした。
なにも間違えてない。別に詐欺とか勧誘とかもギリギリやっていない。
だから決め手に欠けると思っていたけど、決め手はあった。
内田せんせが言ってるのは一歩進んでいた。
「正しいことを言ってもあまりいいことがない」
「正しいことはときに人を傷つける」
つまり、
「正しい」ものはたいてい一つである
→だれもが正しいことを言う・行うがよい世界だと信じる
→それを広めるとすると、誰もが同じ一つのことを言う・行う
→誰でも覚えればすむ一つのことならば、私は私でなくていい。彼も彼でなくていい
→個人消滅
→誰も大事にされる必要がない。誰でも替えがきく
実際、私は彼から最低限の配慮をされなくなったと感じた。
が、まったく聞く耳がなく、私が不在でも彼は自分の信念があれば十分幸せなんだろうと思ったら、そいつが自分の存在を否定する人間にみえた。
自分の友達を否定する人間が自分の友達にいると思ったら生きていけないので、マイミクシィからはずしたわけだが。
でも、はずすのが間違いで、あらゆる多様性をうけいれないといけないのか?と最近思っていた。
正しいことを言ってるのは本人の気分がいいだけで、何もいいことはない。
正しいことは相手を傷つけることがある。
その「正しさ」の弊害において、私はせめて自分の意思表示として、彼をふつうの友達とは区別しておきたい。
彼は正しいことを言うが、私にとっていいことは言わない。
いっぱい失ってることに早く気がつくといいねー。